銀河英雄伝説の一節から国家というものを考える

ヤン「国家が細胞分裂して個人になるのではなく、主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どちらが主でどちらが従であるか、民主社会にとっては自明の理でしょう」

ネグロポンティ「自明の理かね。私の見解はいささか異なるがね。人間にとって国家は不可欠の価値を持つ」

ヤン「そうでしょうか。人間は国家がなくても生きられますが、人間なくして国家は存立しえません」

ネグロポンティ「こいつは驚いた。君はかなり過激な無政府主義者らしいな。ちがうか」

ヤン「ちがいます。私は菜食主義者です。もっとも、おいしそうな肉料理を見ると、すぐ戒律を破ってしまいますが」
田中芳樹銀河英雄伝説』)

国家とは個人個人が集まって作り出した
壮大な幻想のようなものだと考える。


人間とは幻想の中で生きる動物で
その中には真の善とか悪といったものは認識しえない


人間という生き物は
この幻想の世界を手探りで調べながら暮らしている。


その不安に耐え切れないものは
例えば宗教にすがったり、己の欲望に従ったり、かりそめの物語を信じて
生きている。


国家というものも
そのなかの共同幻想の一つに過ぎない。


しかし幻想だからといって
ちっぽけなものであるとか、うそっぱちであるとか
そういうものではない。


何故ならこの世界は幻想で形作られているのであり
何が正しくて、何がおかしいなんて
人間には判断しえないものなのだから。


けれども、国家というものは
多くの人々が信じ、築き上げてきた壮大な共同幻想であることは事実である。


いわば国家とは多くの人々の心を支える巨木である。


国民とはその巨木の下に住む精霊である。


巨木に住み着く精霊は、その木を育んで、愛しんで、
時にその木が風に揺られて大きく傾くようなことがあれば
みんなで頑張って倒れないように支えて
そうやって共生している。


巨木はそうして精霊に助けられながら生き
そしてその恩恵として
雨風から精霊を守り、作り出した果実を分け与えている。


ヤンは言う。
「人間は国家がなくても生きられますが、人間なくして国家は存立しえません」


だがこの考え方は極端だ。
何故なら
「人間がどうして国家を作り出したのか、どうして国家を必要としたのか」
その根源から立脚されていない。


強いものは巨木の力に頼らなくても生きていけることだろう。
しかし女子供や老人はそうはいかない。
彼らのような弱い存在は巨木の庇護がなければ生きていけない。


人間は国家なくして生きられる。
しかしそれは一握りの人間だけだ。
大多数の人間は国家がなくては生きてはいけない。