微熱が続いているので

 微熱が続いているので何もやる気がしない。するはずだった学習計画もさっぱりである。今年の資格検定はまず無理だな。無駄にネット将棋にあけくれ、一日何時間もプレイする毎日。


 というか何もする気がないのならゲームでもどっぷりつかるか、と以前からやりたかったPS2のスーパーロボット大戦MXを購入。これは初ラーゼフォン登場作品ということで、だいぶ前から目をつけていたゲームである。今までは忙しくて購入を見送っていた。


 このゲームを楽しむにはまず作品を知っておかなくてはならんということで、ゲームをプレイする前に友人からいただいた機動戦艦ナデシコを観賞し始める。……ぅーつまらん。現実味をギャグでオブラートに包んだような感じだ。ところどころに出てくるアホアニメ。。。アレだけ戦ってきたのに神経質のかけらもないロボットのパイロットたち、明らかに少なすぎる戦艦のクルー。仕様ですといわれればまあそこまでなんだが、何となく萎える。でもあともうちょっと、頑張れ俺。


 でもちょっと提督のアレは泣けた。ああいうナニはもう泣かずにはいられない。

帰ってきた扁桃腺奮闘記

 病院へ行ってきた。新しい抗生物質を貰うためだ。だいたい一週間おきに通っていて、これで一ヶ月くらいになる。これまでで4度薬を変えたが、問題になる部位にはあまり効果がなかった。これで駄目だったら扁桃腺を切るという。

 帰りに松屋へ寄る。そこではじめてのキムチ豚丼を注文する。……マジウマ! さりげに使われている海苔がいい味を出している。肉もほどよくタレを染み込んでいて、噛むたびに甘辛い味が口一杯に広がる。ご飯は硬すぎず柔らかすぎず、しゃきしゃきしていて、これがまた豚肉とマッチしている! 俺キムチ豚丼ランキング1位は松屋に決定。以下、2位すき屋、3位吉野家

骨髄提供者はどうして増えないのか

 骨髄バンクの現在登録者数は19万人。提供者は一年で1〜2万人ずつ増えているという。しかしたった19万人ぽっちというところで疑問が残る。どうしてそれくらいしか集まらないのだろうか。


 原因は情報不足や提供者に不誠実なところにある。


 第一に情報がない。一般人の俺から言わせると、提供者になる方法がまず分からん。登録ってどこでするのかも分からん。気軽に確かめられる場所も知らないし、登録できる場所も知らない。第二に情報に不誠実だ。これは後述する。


 提供登録の仕方も良く分からないので、仕方無しに骨髄移植推進財団のサイトへ行ってみた。初見で「うわ、使いにくッ。レイアウト糞過ぎ!」と感じつつ読みすすめる。善意論云々が掲げてある。みなさんの善意でなりたってるから仕事休んでも補填しませんよ(はいここで社会人アウト)。Q&Aを見る。やはり気になるところは書いてない。……あたりまえだが、提供者になろうとするものが一番不安なのは痛いかどうかだ。健康な体にメスを入れるのは誰だって嫌だ。提供者になるための覚悟も、募集側が情報をよこさなかったらできなくて当然だ。この点で、募集する側は情報に不誠実だ。(骨髄検査なんてムチャクチャ痛いそうな。骨に麻酔かからんので、髄液を取る時も痛みが伴う)


 骨髄検査するときムチャクチャ痛いですよというと提供者が恐がるので、そういうのは黙ってしまえ、そういう思惑があるのだ。善意を募集するくせに、募集側には悪意がある。情報不足、情報に不誠実、その結果が19万人という数なのだ。

なんで現球団のスト反対が支持されないかというと

 なんで現球団のスト反対が支持されないかというと、新球団を2005年以降にするという条件に説明責任を果たしていないからである。ただ新球団できるのが気に食わねーだけじゃねーの? と思われても仕方が無い。

少年の日の思い出・徹夜編

 今日は友人と食い歩きにいくという約束の日である。時間まで起きられる自信がなかったので今日は徹夜である。相当眠い。


 子供のころ、初めて徹夜した日はとてもきつかった。あれは小学6年生頃だったか。「ライブアライブ」というスーパーファミコンのソフトをプレイしながら、夜を過ごした記憶がある。小学生といえばまだお化けがいるんじゃないかと少しだけ信じていた時代だ。ドキドキしながら朝が来るのをまっていた。次の日には日曜日で町内の子供会があり、子供会の会長だった俺は休むに休めず、嫌々参加したものだ。あの時は本当に嫌だった。小学生のくせに徹夜をして、体に良いはずがない。朝ゴハンのときになると胃がキリキリしてご飯も喉に通らなかった。代わりに負担が少ないインスタントの塩ラーメンを食べたのを覚えている。


 スタンドバイミーに憧れていて、夢は夏の夜に友達と焚き火を囲んで時を過ごすことだった。そういう夜という魔力をみんなで分かち合いたかった。たとえ科学の夜を迎える昨今だとしても、今でも夜は神秘性というような、そういう不思議な気持ちを感じることができる。平安時代、そういう途方もない昔には妖怪がいたと信じられていた。今でも俺にはその気持ちが分かる。