日本の歴史が分かる本を読んだ。サヨク本でした。

240p
昭和十二年八月
日本軍は日中戦争の早期決着をはかるべく
首都南京へなだれ込み占領作戦を敢行


241p
下士官「捕虜が大量に出ておりとても我々だけでは扱いきれません」
上官「うむ!
   捕虜は揚子江の向こう岸まで渡してしまうしかあるまいな」
下士官「それに市内はパニック状態で一般人に成りすました敗残兵があちこちに出没しており、完全制圧にはまだまだ時間がかかるものと……」
上官「よし、掃討作戦を徹底的に行う。怪しいものがおれば容赦なく処分しろ!」
下士官「はっ!」
*1


242p
襲い掛かる便衣兵(ゲリラ)。
日本兵「反乱だ! 撃て撃てー!」


この南京大虐殺で殺害された中国兵士と南京市民
三十万から四十万に及ぶとも言われ
従軍慰安婦と並ぶ日本の大陸侵略に伴う不幸な出来事であった
*2


巻末コラム
>四月一日アメリカ軍が沖縄に上陸し
中略
>「捕虜になったらひどい目にあう」と脅され、集団自決を迫られて死んでいった一般市民もたくさん含まれていた。
*3


>アメリカ兵が、強姦したあと殺さなかったからである。南京大虐殺のときの日本兵とはこの点で違うが
*4


>政府および軍部は、戦争終結への手立てを積極的には講じていなかった。
中略
>しかし、この時天皇は、日露戦争のときの日本海海戦の例にならってか、「もう一度敵をたたき、有利な条件をつくってから和平を考えたほうがよい」としてこれを拒否しているのである。仮にこのとき、天皇が降伏に同意していれば、広島・長崎の犠牲ははらわなくてもすんではずであった。
*5
責任監修・小和田哲男 画・小杉あきら「日本の歴史がわかる本」

とまあこんなことが書いてありました。
ちなみに責任監修の小和田哲男氏は静岡大学教育学部教授だそうです。


まんまサヨク本でした。

*1:緋村・注、この時、民を守るはずだった敗残兵たちは、逆に民から衣服を剥ぎ取り、金品を強奪し、ゲリラに化けていた。

*2:緋村・注、でっち上げ

*3:緋村・注、アメリカ軍では捕虜をとらないことが多かった。「私は捕虜をとらない主義だ」と公言していたものもおり、投降してきた日本兵を虐殺しまくっていた。アメリカ軍の虐殺は酷く、飛行機で輸送中に日本兵を空から突き落としたり、殺して手に入れた頭蓋骨をアンティークにしたり、耳を切り落としてコレクションにしていたりと、クレイジーな話には事欠かない。

*4:緋村・注、前半は事実だが、後半は教授の妄想

*5:緋村・注、この時代は立憲君主制であり、戦争を起こしたのも政府であり軍部(+国民)です。なので政治介入ができない天皇には、まったく責任もありません。立憲君主制とはこういうものです。むしろ天皇は軍部の暴走を反対していましたし、日米戦争になっても反戦の立場でした。戦争の終盤、もう降伏するしかないだろうっつーところでしたが、抗戦派と降伏派で話がまとまらず、最後の最後になってときの総理が天皇に判断を仰ぎ、ようやく降伏となった訳です